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カーニヴァル (Fasenacht, Le Carnaval)
2月 (fevrier)
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キリスト教では、(日曜日を除く)復活祭前の40日間のことを、四旬節 (le Careme)と呼び、その始まりの日に当たる水曜日のことを灰の水曜日(le mercredi des cendres)と呼んでいる。これは、この日のミサのときに司祭が、信者の額に灰で十字の印をつけながら「人間よ、思い起こしなさい。あなたは塵であり、また塵に戻っていくのだと」という決まり文句を唱えるところからついた呼び名である。四旬節の間は精進潔斎をして過ごさなければならない期間であった。こうした厳しい食事制限の期間を迎える前に、羽目をはずして飲み食いをし、大騒ぎをしようというのがカーニヴァルである。カーニヴァルの語源は、「肉よ、さらば」を意味するラテン語の「carne vale」に由来すると考えられている。一方、アルザス語では「Fasenacht」といい、その語源については「馬鹿騒ぎをしながら通りをかけまわる」という意味の動詞「fason」からきたという説、「育つ、成長する」という意味の動詞「fasen」からきたという説、最後に「四旬節の前夜」を意味する「Fastnacht」からきたという説がある。カーニヴァルの原型はギリシャ・ローマ時代にまでさかのぼると考えられているが、それが異教的であり、秩序を乱すものであることから、キリスト教会はカーニヴァルを制限しようとしてきた。こうして、カーニヴァルという名前で呼ぶことの出来る様々な慣習は、かつてはクリスマスの直後から行われていたのだが、やがて灰の水曜日の前後に集中して行われるようになった。
アルザスでは、灰の水曜日の前の日曜日を、名士たちのカーニヴァル(Herrenfasenacht, Le carnaval des seigneurs)、あるいは小カーニヴァル、若いカーニヴァルと呼び、町や村の名士たちは寄り合い所に、職人たちはそれぞれの同業者本部の本部か宿屋に仮装して集まり、宴会を催していた。そこにはご馳走が並び、歌に音楽、踊りがあった。今日アルザスの多くの市町村でカーニヴァル行列が行われているが、その基本をここに見ることが出来る。ただし、行列が行われる日は、2週間ある(学校の)カーニヴァル休みの期間中のある日曜日に行われる場合が多い。それに対し、灰の水曜日の後の日曜日は、農民のカーニヴァル(Burefasenacht, Le carnaval des paysans)、あるいは大カーニヴァル、年老いたカーニヴァルと呼ばれ、火のついた円盤飛ばしなどの行事が行われていた。これは今日でもいくつかの村で見ることができ、行われる日も昔と変わらない。また、メゾングットの村では、シーヴァユーファという火祭りも行われている。
ライン川を挟んで向かい側にあるドイツのシュヴァルツヴァルトでは、今日でもアレマン風のカーニヴァルが行われている。行われる日も、灰の水曜日の数日前から、前日の脂の火曜日(le mardi gras)までである。脂の火曜日の夜には火が焚かれ、その周りを恐ろしい面をつけて仮装した人たちが踊りまわったり、冬の象徴であるカーニヴァル人形を燃やしたりする。また、やはりアルザスと国境を接するスイスの町バーゼルでも、伝統的に、農民のカーニヴァルの日の翌朝(月曜日)の4時から水曜日までの間、カーニヴァルが行われている。バーゼルのカーニヴァルは、行列を中心とした完全に都市のカーニヴァルである。
役場前で燃やされるカーニヴァルの人形(Saverne サヴェルヌ)
カーニヴァルの風景
(quelques scenes du Carnaval)
朝の4時から始まるバーゼル(Basel)のカーニヴァル
ドイツのエルザッハ(Elsach)のカーニヴァルの仮装
火のついた円盤飛ばし (Schieweschlaawe, le lancement de disques enflammes)
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ヴィンツェンナイム・コヘルスベール(Wintzenheim-Kochersberg)では今でも円盤飛ばしの1ヶ月ほど前から村人が集まり、一緒に飛ばす円盤の準備をしている。円盤はブナの木でできていて、直径が10センチほどである。この円盤の縁の部分に火をつけるので火がつきやすいように、また中心を分厚く周囲を薄くして円盤が飛びやすいようにするために、あらかじめ縁の部分を薄く削っておく。削るときには、今でも木材加工用の台 (Die Schnitzelbank)が用いられている。大人も子供も一緒に作業をする。昔は、冬になると寒く日が早く落ちることから、戸外での作業が少なくなり、大人と子供が一緒に室内でこうした作業をしていた。そうすることで、技術を伝授し、歌、諺、伝承などを伝えていった。ヴィンツェンナイムでは、円盤は、円盤飛ばしの丘に置かれた木の台にぶつけて飛ばす。しなるハシバミの枝の先に円盤を取り付け、円盤の縁に火をつけ、斜めになった木の台に円盤をぶつけると、その衝撃で円盤は火花を散らしながら暗闇の中に飛び出していくのである。この円盤は、太陽の象徴であると考えられ、円盤を飛ばすことによって周囲に潜んでいる冬の悪魔を追い払おうとしているのだという。春の到来を待ち焦がれて行われる祭である。
大人も子供も一緒に円盤を削る
ヴィンツェンナイム・コヘルスベール(Wintznheim-Kochersberg)では、斜めの板に円盤をぶつけて飛ばす
ドナージュ (Donage) の慣習
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昔は円盤の飛ばし手は若者たちだった。春の蘇りを祝うこの行事において、彼らの持つ若い力が期待されたためであろう。円盤にはきれいな装飾が施されていたり、恋人や婚約者の名前が書かれていることもあった。そして円盤を飛ばす際に、恋歌が歌われることがあった。実はこの円盤飛ばしの場は、春先に、初めて村人全員が集う場所でもあった。冬の間は寒く日が短くなるため、室内での作業が長くなる。そこでは夜の集いが行われ、新しく交際を始めるカップルも出てくる。こうして円盤飛ばしの場は、村人全員を前にし、交際を宣言する場でもあったのである。こうした結婚の儀式のことをドナージュと呼んでいる。ドナージュの慣習はもはや残っていないが、伝統を守るため、アルザスで唯一この恋歌をうたい続けているのがディフェンタール(Diffenthal)の村長さんである。ディフェンタール村では、丘の上の「ケルトの岩」と呼ばれる大きな岩の上の平らな部分に円盤をぶつけて飛ばしている。村で歌われている歌の内容は次のようなものである。
「円盤よ、円盤よ、谷(ライン川?)を越えて飛んで行け。それは誰のところへ行くのか? ○○のお鍋の中さ。そこに入らなければ、飛んで言った意味がない! 飛ばなければ、どうでもいい!」
ちなみに○○の中に恋人や婚約者の名前が入ることになる。円盤のついた棒をぐるぐる回しながらこの歌をうたい、最後に「そーら!」と掛け声をかけて飛ばすのである。
「ケルトの石」の上で火を焚き、岩の端のぶつけ、暗闇のブドウ畑に向けて円盤を飛ばす(ディフェンタール Diffenthal)
シーヴァユーファ(Schiwahuffa)
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シーヴァユーファとは、高く積み上げられた薪の山のことである。この薪の山を、ヴィレの谷(la vallee de Ville)の丘陵沿いにいくつも作り一斉に燃やすのであるが、この火祭りはメゾングット(Maisonsgoutte)でしか行われていない。しかし、シーヴァユーファの「シーヴァ」とは「円盤」を指す言葉であり、村人の話ではかつてこの村でも恋歌を歌いながら円盤を飛ばしていたそうなので、現在のメゾングットの祭は、もともと火のついた円盤を飛ばす祭だったようである。それが、いかに美しく高いシーヴァユーファ(薪の山)を作るかというコンクールに変わったのである。これらのシーヴァユーファは、祭の前日に、村の子供たちを中心に立てられていく。学年ごとのシーヴァユーファを立てるのである。作り方は、まずモミの木の下半分の皮を削って白い肌を露出させ、上部の枝のついた部分に飾り付けをする。次にこの木を立て、その周りに小さなやぐらを組み、中に粗朶を詰め、さらにその上にも粗朶を積み上げていく。こうしてモミの木の高さの半分くらいまで粗朶を積み上げると完成である。ここまでの準備は、カーニヴァル休みの期間中の土曜日に行われ、谷間の丘陵には十数基のシーヴァユーファが立てられることになる。そして、これらに火を点けるのが翌日曜日の夜である。まず最初に、一番見晴らしの良い丘の上に消防団員らが立てたシーヴァユーファに火が点けられる。それを合図に、一斉に全てのシーヴァユーファに火が点される。谷間のあちこちで一斉に燃え上がるシーヴァユーファは壮観である。しかし、若者たちは火が最後まで消えるのを待たずに、徒党を組んで村へと下りていく。寄付を募るためである。彼らは家々を訪ね歩き、走ってくる車を止めては寄付を募る。そのさい、
「降れ、降れ、小さな赤い花々、私たちはお菓子のために歌っているよ・・・」
というアルザス語の歌を歌うのが慣例だ。集まったお金は、この2日間、宿屋でつけで飲み食いした飲食代に充てられるという。このときだけは、未成年であっても飲酒が認められているのである。円盤こそ飛ばさず、祭の曜日こそカーニヴァル休みの期間中の週末に変わってしまったが、紛れもなくそこには、古い円盤飛ばしの慣習の名残りが見られるのである。
立てられたシーヴァユーファ
作ったシーヴァユーファに火をつけるコンスクリ
燃えさかるシーヴァユーファ
コンスクリ(徴兵適齢期に達した18歳の若者)たち
家々をまわり、寄付を募って歩くコンスクリたち