ガラス絵 (peinture fixee sous verre) |
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ヴェネチアで生まれたと考えられているガラス絵は、ボヘミア地方を経て、シレジア、ポーランド、バイエルン地方、シュヴァルツヴァルト地方へと広がり、18世紀中頃にアルザスにも広まった。18世紀のアルザスは、30年戦争やルイ14世の戦禍の後で、人々が宗教的な救いを求めていたこと、またアルザスがフランスに帰属したことによりカトリック派が再び教義を広めようとしたことから、1730年頃より一般の人々の間にガラス絵が現れたらしい。主なモチーフは宗教画だったが、春夏秋冬を象徴とした人物像や将軍らも描かれている。プロテスタント派の間では、聖人信仰がなかったために、代わりにルターなどの神学者の姿が描かれたりした。ガラス絵は、いくつかあったガラス絵の工房で作られ、行商人の手によって、主に農民、手工業者、小市民などに訪問販売されていた。歪んで気泡の入ったガラスに描かれていたため、光の当たり方によっては荘厳に見え、また安価だったこともあり、ガラス絵の宗教画は人気を博した。こうした宗教画は、よく大広間の角の神棚(hergottswinkel/coin de Dieu)に飾られていた。ガラス絵は18〜19世紀に最盛期を迎えるが、19世紀の後半になるとエピナル版画などの印刷物が現れ衰退していった。
ガラス絵はまず、ガラスの内側に、細い筆で描きたい人物の顔、手などの輪郭を描く。その際、体形の均衡は重視されない。これらの輪郭線は水彩で描かれる。それには、赤(赤色硫化水銀)や黒(セピア)に卵黄を混ぜたものが用いられる。その上から、様々な色を塗り重ねていき、最後に背景となる色(主に黒)を塗って完成となる。額にはモミなどの安価な木が使われ、エンジか黒で彩色される。ガラス絵を作っていた工房は、今日では各工房の特徴によって分類され、たとえば四隅にマーガレットの花が描かれている場合には四つのマーガレット工房、背景にカーテンが描かれている場合にはカーテン工房、背景が白地の場合は白地工房などというふうに呼ばれている。工房の職人たちは識字率が低かったようで、つづり字の間違いが繁茂に見られる。
《四つのマーガレット工房》または《花の装飾工房》のガラス絵
聖ペテロとオンドリ:オンドリは、「お前はオンドリの鳴く前に3回、私のことを知らないと言っているだろう」というイエスの言葉に由来する。
イエスの磔刑図
貧民にマントを与える聖マルティヌス:11月11日が聖マルティヌスの日。画中の「Martain」は、本当は「Martin」と綴るのが正しいのだが、発音に合わせて表記したらしい。
聖ニコラウスと3人の子供:12月6日が聖ニコラウスの日。塩漬けにされた3人の子供を助けたという伝説から子供たちの守護聖人とみなされるようになった。サンタクロースの元になった聖人。
火の試練を受ける聖女リシャルド:アルザスの聖人。マントのすそに火がつけられている。
洗礼者ヨハネ
「カーテン工房」のガラス絵
マグダラのマリア : 背景にカーテンが描かれている。「N」が逆向きになっているが、これはよく見られることである。