|
1月 (janvier)
公現祭 (L'Epiphanie)
|
かつて1月6日は、公現祭(エピファニー)の日だった(現在は1月の第一日曜日)。もともとこの日はイエス・キリストの生まれた日であり、新年の始まりの日と考えられていたが、イエスの生誕の日が12月25日に移されると、この日は、イエスが公現した(神として認められるようないくつかの出来事を行った)ことを記念する日となった。イエスが生まれたときに3王が祝福しに訪れたこと、カナの婚礼でイエスが水をワインに変えたこと、そしてヨルダン川で洗礼者ヨハネからイエスが洗礼を受けたことなどである。
ところが間もなく、エピファニーというとイエスの誕生を祝福しに3王 (les 3 Rois Mages) が訪れたことだけを記念する日とみなされるようになっていった。そして3王に扮した若者たち(教会でミサの手伝いをする子供たち)が村の各家をまわって祝福の言葉を述べ、寄付を募って歩いたり、王様のガレット(galette des rois) という名のパイケーキを食べるといった習慣が生まれた。レナング(Reiningue)という村では、公現祭の前日から当日の朝にかけてラムサ(Ramsaspiel)と呼ばれるカード・ゲームが行われており、その勝者には大きなブレッツェルが与えられている。
村をまわる3王(La visite des 3 Rois Mages)
|
教会でミサの手伝いをする子供たちが3王に扮装し、村の家々をまわって寄付を募って歩く慣習は、聖史劇に端を発すると考えられている。中世の教会がキリスト教の布教のために考え出した聖史劇の出し物の中でも特にこの3王の話は、愚かな王ヘロデが出てくることから人気があったようである。昔は、3王に扮した子供のうちの一人が大きな星を先端につけた棒を持ち、家々を回って祝福の言葉を歌っていたことから、この慣習は、3王の歌(Dreikoningssinge)とか、星の歌(Sternsingen)とも呼ばれた。寄付としてもらえるものは、昔は小銭や自然の恵み(乾燥果物や胡桃など)だったが、今日ではお金チョコレートなどのお菓子である。寄付されたお金は、子供たちが行う遠足代に当てられるなどしている。
3王に扮装して村をまわり、寄付を募って歩く(教会のミサの手伝いをする)若者たち(テュルッカイムTurckheim)
3王に扮装して村をまわり寄付を募って歩く、教会のミサの手伝いをする子供たち(アスパック Aspach)
ラムサゲーム(Ramsaspiel)
|
ミュールーズ近郊の町レナング(Reiningue)では、今日でもラムサと呼ばれるカードゲームが、公現祭の前日の夜8時頃から翌朝の5時頃まで行われている。ゲームに参加したい人は、レストラン「モミの木亭 Au Sapin」に集まりテーブルを囲むのである。ゲームは5人一組で行われる。最初に各プレーヤーに15点が与えられており、配られたカードを見て勝機があると判断したときに、ゲームに参加する意思を表明する。こうしてゲームに参加した人の間でカードを取り合っていき、相手のカードを取ると、取った回数分だけ持ち点が減っていく。こうして最初に誰かの持ち点がなくなるまでゲームは続けられ、最初に持ち点をなくした人が勝者となり、大きなブレッツェルを貰うことができる。
ラムサゲームに使うカード、黒板
ラムサゲームに興じる村人たち
ラムサゲームに興じる村人たちと大きなブレッツェル
王様のガレット(La Galette des Rois)
|
中に小さな陶器の人形が入っている。もとはソラマメ(feve)が入っていたので、今でも中に入っているこの陶器の人形はフェーヴと呼ばれる。ガレットは人数分に切られ、食卓を囲む人たちに配られる。普通、子供がいる場合はその子供がテーブルの下にもぐるなどし、ガレットを見ることが出来ない状態で「この一切れは誰の?」という問いかけに、「おじいちゃんの」などと答え、誰がどの一切れを貰うかが決まっていく。中からフェーヴが出てきたら当たりで、王冠をかぶることができる。この遊びは、中世の時代に聖職者たちが、聖史劇の中に出てくる王の役を決めるのにガレットを用いていた習慣が一般の人たちの間に広まったものと考えられている。そしてそれを最初に取り入れたのが同業者組合の人たちで、彼らは、公現祭の前日に集まり、「王国」と呼ばれる集会を開いていた。昔はこの日が大晦日と考えられていたことから、新年を迎える前に大騒ぎをしようと考えたのである。1601年のセレスタ (Selestat)市の資料によると、このガレットにはソラマメとエンドウマメが入っていて、ソラマメが出て来た人は王様に、エンドウマメが出て来た人は元帥になった。王様と元帥に選ばれた人たちは、飲むたびに「お飲みになられます」と子供たちから声をかけられる栄誉を受けたが、その日の宴会費用を全て負担しなければならなかった。18世紀にはこの習慣が一般の人たちの間にも広まっていたことが分かっている。1713年にストラスブールに泊まったある宿泊客の記録によると、公現祭の夜に、ソラマメの入った巨大なガレットが運ばれてきた。宿の主人がそれを会食者の人数よりも一つ多く切り分けた。最後の一つは「善き神」のためのものだった。中からソラマメが出てきたら王様になり、王様になった客は食事代を払わねばならなかった。その代わり、王様に敬意を表して、王様が飲むたびに「王様がお飲みです」と会食者たちは叫んでいたそうである。この宿泊客の記録によると、その晩、ソラマメ入りのガレットが当たったのは「善き神」であった。善き神とは、寄付を求めて最初に立ち寄った貧しい人のことである。善き神が王様に選ばれてしまうと、食事代を支払うことが出来ないので、その際には宿の主人が食事代を持つことになっていた。善き神のために残されていた一切れのガレットは、昔は食べられることがなかったそうである。そこから、もともとこのガレットは、死者に対する供物としての意味合いがあったのではないかと考えられている。
王様のガレット