ギュスターヴ・シュトスコフ Gustave STOSKOPF (1869-1944)
ギュスターヴ・シュトスコフ
ブルマット(Brumath)に1869年に生まれた画家、詩人、アルザス語劇の作者。シュトスコフの名はアルザス語劇の作者として知られているが、彼は何よりもまず画家であった。幼少時から画家を志し、1887年に18歳でパリのジュリアン学院に学び、続いてミュンヘンでヘッカーに師事する。シュトスコフの絵の題材は大きく分けて二つあり、一つは故郷ブルマットを流れるゾルン川の風景、もう一つは人物画であった。とりわけシュトスコフの描く人物画は、極端なまでのリアリズム表現という点において、独自の特徴を示している。彼は北アルザスの農民の姿を好んで描いているが、とりわけ老人の肖像画では、顔にくっきりと刻まれたしわ、手に浮き出た血管などが、その人物の人生やその人物が育った風土をおのずと物語っているかのようであり、見る者の心を揺さぶらずにはおかない。またシュトスコフは、こうした肖像画を描く場合に、たいていベニヤ板を用いた。ベニヤ板は新しい素材だったからかもしれないし、彼の筆圧がより強いキャンバスを必要としていたからだとも考えられる。いずれにしろ、1930年代から40年代にかけてシュトスコフの描き出した人物画は、どれも記念碑的な作品となっている。
シュトスコフはまた、詩人であり劇作家でもあった。すでに彼は高校時代より教師や仲間を風刺した詩を書いて仲間たちを楽しませており、常に忠実な何人かの仲間に、からかった仲間のひきとめ役になってもらっていたという。後にストラスブール大学の学生になると、シュトスコフは、若い詩人や当時の画家たちが良く集まっていた小さな酒場メールキシュト(Mehlkischt)で、アルザス語による詩を朗読するようになる。これが後に刊行されることになる詩集『アルザスのおかしな物語 Lustigs us m Elsass』(1896年)や『おかしな物語とまじめな物語 Gschpass un Ernscht』である。やがて彼は、アルザス語による劇の台本も手がけるようになるが、これこそ、彼がその絵画や言葉によって描き出そうとした真のアルザス人の姿を伝えるための手段であったのかもしれない。こうして彼が最初に発表した作品『村長殿 D'r Herr Maire』(1898年)はいきなり大当たりとなり、以後十数本の台本を手がけることになるのである。
1.人物画
パイプを持つ老人(全体図と拡大図) 油彩、ベニヤ板
2.詩作品
シュトスコフの詩『ハンス D'r Hans』に、レオ・シュヌク (Leo SCHNUG) が挿絵を描いた作品で、『アルザスグラビア誌 (Revus alsaciennes illustrees』に発表された。これはそのオリジナル。雑誌では、詩はタイプで打たれているが、オリジナルではシュトスコフの自筆である。詩の内容は、ハンスという若者に恋してしまった若い女性が、ハンスが浮気者だと聞かされ前の年にハンスと踊った場所へ出かけてみると、彼は別の女性と踊っていた(2階の右端部分)。それを見て悲しむ彼女(1階部分)を軽快に皮肉った詩。
詩集『アルザスのおかしな物語 Lustigs us m Elsass』(1896年)や『おかしな物語とまじめな物語 Gschpass un Ernscht』
3.アルザス語劇
アルザス語劇の作品:『予言者 D'r Prophet』と『村長殿 D'r Herr Maire』『村長殿』の表紙は、エミール・シュナイデール(Emile SCHNEIDER) によるもの。また、ポール・ブローナゲル(Paul BRAUNAGEL)が、『予言者』の絵を描いている。
絵葉書(『村長殿』):この記念碑的作品は、シュトスコフがサン・レオナールに滞在中に書かれ、その最初の朗読会は、ローゲルの家で行われた。
シュトスコフの手紙(1938.09.21) : アルザス座の女優ビュッシンゲールに宛てたもの。内容は以下の通り。『あなたの写真を受け取った。しかしどの写真も上手く取れているとは認めがたい。あなたが木にもたれかかっている写真は完全にぼやけている。プログラムについては、胸から上の写真であることが必要だ。あなたがバカンスから戻り次第、私に連絡してもらえないだろうか。場合によってはそのさいあなたと一緒にカメラマンのところへ行けるので。敬具』