エミール・シュナイデール Emile Schneider (1873-1947)
エミール・シュナイデールは、1873年1月20日、イルキルシュ・グラッフェンスターデン(Ilkirch-Graffenstaden)に生まれる。彼は12才のときまでその地の学校に通い、その後、1885年から1889年までベルフォール(Belfort)の高校に通う。当時のアルザスはドイツに併合されていたが、ベルフォールはフランス領であったため、この滞在中に彼の中で親仏傾向が芽生え、フランス的な芸術嗜好が生まれることとなった。
1889年、アルザスに戻ったシュナイデールは、短期間ではあるが彼より一回り年上の画家レオン・オーネッケール(Leon Hornecker)の弟子となる。オーネッケールはこの時すでにアルザスにおいて肖像画家として名をはせており、シュナイデールもその影響を受けることになる。
1890年、彼は、週刊誌『シジュウカラの巣穴と五月の甲虫 D'r Meiselocker un d'r Maikafer』に風刺画を描く。また、同年、出来たばかりのストラスブールの装飾美術学校(L'Ecole des Arts Decoratifs)に入学し、2年間学ぶ。1892年にはミュンヘン王立美術学院に入学。ミュンヘンでは、オーネッケールも通ったギリシャ出身の画家ニコラ・ギジス(Nikolas Gysis)に師事し、アカデミックな肖像画の描き方を会得する。シュナイデールは、1899年までミュンヘンの美術学院に通うが、その間、1894年にはストラスブールで最初の展覧会に出品し、翌1895年には、ギュスターヴ・シュトスコフ、シャルル・スピンドレール、ポール・ブロウナゲルといったアルザスの芸術家らとともに、ベルリン国際博覧会に出品している。