シャルル・スピンドレール Charles SPINDLER (1865-1938)
シャルル・スピンドレールの肖像
(フェルナン・シュルツ-ヴェッテル Fernand SCHULTZ-WETTEL作)
1.人生(sa vie)
オベルネ(Obernai)の隣村ブルシュ(Boersch)に生まれた、画家、版画家、イラストレーター、寄木細工家にして著述家。1882〜1889の間に、ドイツのデュッセルドルフ、ミュンヘン、ベルリンで学ぶ。1890年、故郷に戻った彼は、ブルシュの隣の集落サン・レオナールにアトリエを構え、そこで芸術愛好家にして碩学でアルザス愛を持つアンセルム・ローゲル(Anselme LAUGEL)と出会う。こうしてこの地で彼らが一緒になって始めたのが《サン・レオナールの運動》であり、彼らの周りに集まってきた芸術家たちのグループをサン・レオナールの会(le groupe de St-Leonard)と呼んでいる。
スピンドレールは、会のメンバーであるドイツ人画家のサットレール(Sattler)とともに、1893年から《アルザス版画images alsaciennes/Elsasser Bilderbogen》を刊行する。それは、テキストと版画によってアルザスの歴史や伝説、美しい情景を描き出すことを目的とし、テキストはフランス語とドイツ語の2ヶ国語で書かれていた。アルザス版画は、サットレールがドイツに帰国したことにより廃刊となったが、このときの成功と経験をもとにスピンドレールは、1898年からさらに《アルザスグラビア誌revues alsaciennes illustrees》を刊行。それは「真の芸術的ルネッサンスの証人であり、われらが地方に敬意を表し、われらの血筋の価値、その理想の高さを示すものである」と会のメンバーであるアルフレッド・リトラン(Alfred Ritleng)は述べているが、実際、著者によりフランス語またはドイツ語で書かれたこの雑誌は、当時の芸術に限らず、アルザスの歴史、言語、過去の芸術などについて幅広く取り上げながら、「アルザスとは何か」という根本を探ろうとするものであった。雑誌は、第一次大戦の勃発する1914年まで続けられた。
《アルザス版画 Images alsaciennes/Elsasser Bilderbogen》:1893〜1895年まで出された。全部で72枚の版画により構成されている。中央は、1894-1895年の巻頭、右は同年度の最初の版画で、スピンドレール画。左のテキストはドイツ語、右側はフランス語で書かれている。
《アルザスグラビア誌 Revues alsaciennes illustrees》:左は、1898年刊行分を1冊にまとめたもの。右は、同年度の1ページで、スピンドレールが聖女オディールを描いたもの。
スピンドレールのおもな著書として、ローゲルとともに出版した記念碑的作品『アルザスの衣装と慣習(1902年)』(スピンドレールは挿絵を担当)、戦時中の日記『戦時中のアルザス(1925年)』、『アルザスの人々(1928年)』などがあげられる。芸術家としてのスピンドレールは、寄木細工家である前にまず、すぐれた水彩画家であり、イラストレーターであった。多くの水彩画を描き、またポスター、本の挿絵、冊子の表紙、蔵書票、ワインのラベルなどのデッサンを描いている。しかしながら、今日、スピンドレールの名前を最も有名にしているのが寄木細工絵の分野においてである。はじめスピンドレールは、紙を張り合わせ絵を作るコラージュ作品を作っていた。その際のおもなテーマは、どちらかというと象徴主義的なものであった。やがて彼は、木肌の持つ美しさに気付き、かつてヴォージュで栄えていた寄木細工の技法を用いて、新しい芸術作品を作り出すことを思いつく。それまでの寄木細工は家具の装飾に使われるものであり、そのデザインは幾何学模様であったが、スピンドレールはこの技法を用いて象徴主義的な主題の作品を作ったり、アルザスの人物や風景を作り出していく。そして、アール・ヌーボーやユーゲント・シュティールの影響の下、寄木細工技法を用いた家具や室内装飾を手がけるようになり、やがてこれを家具に従属した装飾から一服の絵画に独立させるのである。シャルルのアトリエは、息子のポール(Paul)が継ぎ、現在ではその息子のジャン・シャルル(Jean-Charles)に引き継がれている。
『アルザスの衣装と慣習(1902年)』の表紙と見開きのページ。右は、『アルザスの人々(1928年)』。ドイツ語版とフランス語版がある。写真のドイツ語版は挿絵もスピンドレール。
2.紙を用いたコラージュ作品 (oeuvres en marqueterie en papier)
スピンドレールは、寄木細工を始める前に、まず紙を張り合わせたコラージュ作品を作っていた。そのモチーフは、アルザス的なものであるよりは、象徴主義的であった。この紙という材質がやがて木へと変わるのである。
レオナルドー庭園のB嬢(1913年頃)
3.家具 (meubles)
1904年頃までの家具には、曲線を用いたアール・ヌーボー様式が用いられていたが、これ以降の家具では直線的なユーゲント・シュティール様式が用いられるようになる。スピンドレールが、フランスとドイツの文化の間で創作していたことを示すものであり、スピンドレール自身、アール・ヌーボー様式よりもユーゲントシュティール様式を好んでいたことを認めている。スピンドレールの家具を扱っていた店主から「寄木細工の腕ははガレをしのぐのだから、きちんとした家具職人を雇ってアール・ヌーボー風の家具を作ってはどうか」とすすめられたが、それを断ってもいる。
イス付のコート掛け(1902年頃):曲線を用いたアール・ヌーボー様式が用いられている。寄木細工のモチーフは「白鳥」であり、象徴主義をうかがわせる。
ビュフェ(1899年頃)楽譜を読む女性の寄木細工が施されている。
柱時計(1900年代):曲線と直線とが入り混じっている。寄木細工のモチーフは、「オー・バールの城跡の見える村」であり、アルザス風景を題材としたものである。
左:小テーブル(1900年代):曲線でしなやかな脚を持つアール・ヌーボー様式をしている。寄木細工のモチーフは「オー・バールの城」である。
右:棚(1900年代):この棚は、はっきりとユーゲントシュティールを示しており、1906年以降の作品と考えられる。寄木細工のモチーフは「カイゼルスベール」の町である。
4.寄木細工絵画 (tableaux en marqueterie de bois)
木の持つ美しさに魅せられ、またヴォージュで盛んに用いられていた寄木細工技法を再発見したスピンドレールは、やがてこの分野の第一人者となる。彼は、それまで家具などの装飾に従属的にしか用いられてこなかった寄木細工を装飾としての地位から独立させ、絵画の分野として確立させた。
ノトハルテン(Nothalten)の村:寄木細工の製作には、木の板を切るのに足踏み鋸が用いられるが、おそらくこの作品は、木片の切り口から見て鋸を用いる前のナイフによるものと推測される。すなわち初期の頃のものである。
運河とストラスブールの大聖堂
ガチョウ番の娘(Ganzelisel):普仏戦争後に「失われたアルザス」の象徴となったことでも有名なモチーフ
十字架を運ぶイエス(1935年頃):おそらく、聖女オディール修道院付属教会の壁面装飾の一場面と対になるものとして製作されたもの。ただし修道院のものは、こちらと違い、輪郭に縁取りがされていない。違いを表すためそうしたのか? また、この作品では、サインも寄木細工で出来ている。
テュルックハイムのブドウ農家(1930年代?):テュルックハイムの門をバックにブドウ農家の老夫婦がいる光景。おそらく彼らの何らかの記念に特別に製作されたものと考えられる。額装から見て、1930年代のものと推測される。
アメルシュヴィールの町(1960年代?):同じ構図のものがいくつも残されている。同じ図面を用いているからである。この作品は、額装から見て、1960年代のものと推測される。
「Dr Hahn im Korb 村の伊達者」(1930年頃):もともとパリのブラッスリー《シェ・ジェニー,Chez Jenny》の室内装飾用に作られた内の1つで、これは、それと対をなす作品である。このように同じモチーフの作品を対で作成するのが普通であった。
5.水彩画 (aquarelles)
スピンドレールは、寄木細工絵画の創始者である前に、もともとすぐれた水彩画家であった。彼は、水彩画で、アルザスの人々や風景を数多く残している。
(1917年)
6.ポショワール画 (pochoir)
第1次大戦後、アルザスはドイツからフランスへと帰属することになる。その際、フランスのコウノトリ部隊が活躍したことからアルザスでコウノトリブームが起こった。スピンドレールは、1920年代にコウノトリをモチーフにした絵をポショワール技法で描いている。この方法でなら、大量の作品を生産するのが可能だからである。
アルザス女性
フランス兵とアルザス女性
フランスの象徴であるオンドリ、トリコロールのリボン、大聖堂の尖塔の組み合わせ:第一次大戦後に好まれたモチーフである。
コウノトリ・三色旗・ストラスブール大聖堂:コウノトリは、フランスとアルザスの象徴となった。
アルザスの村へのコウノトリの飛来:コウノトリはフランスから飛来する飛行部隊のイメージを持つようになった。
赤ちゃんを乗せたコウノトリ:赤ちゃんを運ぶコウノトリのイメージは、実際は普仏戦争後にドイツからもたらされたものである。
7.小物とイラスト(petits objets et comme illustrateur et ecrivain)
スピンドレールは、大きな家具だけでなく、寄木細工装飾を施した様々な小物も制作している。小箱、ペーパーナイフ、さらには注文に応じて、贈答用のワイン箱やトランプケースなども製作している。また、イラストレーターとして、注文に応じ、様々な分野でイラストを描いている。
小物入れ:鍵には、スピンドレールの「S]がデザイン化されている
円形の小物入れ
トランプケース:ハンジ(Hansi)を思わせるコウノトリのデザイン。トランプは、L.P.カム(L.Ph.Kamm)によるもの。
万年卓上カレンダー
ペーパーナイフ
ワインのラベル
アルザス・ロレーヌ鉄道の小冊子の挿絵(1929年)
リボヴィレのワイン製造業者レオン・ボルの小冊子のための挿絵(1900年)
本の蔵書票
ストラスブール芸術家連合のメンバーカード
シルティックハイムのフォア・グラ業者オーギュスト・ミシェルのための容器のデザイン
8.聖女オディールとスピンドレール (Ste-Odile et Spindler)
スピンドレールのアトリエは、オベルネの近く、聖女オディール山(Le Mont Ste−Odile)の麓のサン・レオナールにある。聖女オディール(Sainte Odile)はアルザスの守護聖女であり、スピンドレールやサン・レオナールの会(le groupe de St-Leonard)のメンバーだった陶工エルシャンジェール(Elchinger)らは、山頂に立つ聖女オディール修道院のための装飾を手がけている。スピンドレールはまた、オディールの容姿を盛んに取り上げ、絵画、寄木細工などで描きだした。それはオディールの容姿の定番ともいえるものになっており、ラリック(Lalique)もガラス制作をするにあたり、スピンドレールの図柄を用いている。
オディールとオディール修道院
オディールの小箱
オディール(初期の作品)
聖女オディールと修道院のあるオディール山をモチーフにしたアルザスのイス。制作は、ジャン・シャルル・スピンドレール氏(シャルルの孫)で、現在のアトリエ経営者。