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4月 (avril)
復活祭(Oschter,Paques)と聖週間(Karwoche,la Semaine sainte)
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復活祭(Oschter, Paques)は、春分後の最初の満月の後の日曜日に祝われる移動祝祭日であり、年間の暦を見ていく上で最も重要である。というのもすでに見たカーニヴァルや四旬節の始まり、あるいは後で触れることになる聖霊降臨祭や聖体の祝日といった他の移動祝祭日や行事は、復活祭の日をもとに決まるからである。復活祭は、十字架上で死んだイエスが復活した日を祝う日であるが、まずイエスは、復活する週の初めの日曜日に、ロバに乗りエルサレムの町に入った。同じ週の木曜日には弟子たちと夕食をともにし(最後の晩餐)、その後ユダに裏切られ、逮捕され、金曜日に十字架に掛けられることになる。埋葬された後、日曜日に復活し、そのあと40日間、地上にとどまってから昇天したとされている。イエスがエルサレムの町に入った日曜日から復活するまでの1週間は、特に聖週間(Karwoche, la semaine sainte)と呼ばれ、この間に様々な行事が営まれてきた。そこで、この週に行われていた(あるいは現在も行われている)行事を日を追って見ていくことにしたい。
なお、復活祭は、3月22日から4月22日の間の日曜日に祝われるのだが、4月になることが多いため、この【4月】の章で聖週間と復活祭に関係する行事を概観していくこととする。
枝の主日 (Palmesonntig, le dimanche des Rameaux)
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聖週間の始まりとなる日曜日は、枝の主日(Palmesonntig, le dimanche des Rameaux)と呼ばれている。聖書の記述によるとイエスは、エルサレムの町に入る前に、弟子に命じて近くの村からロバを連れてこさせた。ロバに乗ってエルサレムの町に入ろうとするイエスに対し、沿道に集まった人たちは、着ていた着物を脱いで道に敷いたり、野原から棕櫚やオリーブの小枝を切ってきて敷いたりして、イエスを迎えた。この記述にならい、この日には、信者たちが木の枝を持って集まり、その枝を司祭が聖別するようになった。このことから、この日を枝の主日(日曜日)と呼ぶようになった。アルザスでは、この慣習は9世紀頃から知られており、今日でも各地の教会で「枝の聖別」が行なわれている。信者たちが持ち寄った木の枝に、司祭が聖水や香の煙をかけてやり、枝を聖別するという儀式が行なわれているのである。
信者たちが持ち寄る枝には、大きく分けて2種類ある。1つは、子供たちが持ち寄る華やかなもの、もう1つは大人たちが持ち寄る簡素なものである。子供たちのそれは、小枝を束ね、きれいに装飾されたものであり、大人たちのそれは、普通は単なる一本の木の枝に過ぎない。聖別に使われる木の枝は、地域によってまちまちで、ツゲ、ヒイラギ、クロベ、ビャクシン、ネズミサシ、イトスギなどこの時期に周囲の野原や山で手に入れることの出来るものである。信者たちは、枝を聖別してもらうと、それらを大切に家に持ち帰る。というのも、聖別された枝には不思議な力が宿っていると信じられていて家や家の住人を、嵐などの悪天候、病気、魔女の魔力などから守ってくれるものと信じられていたからである。また、いくつかの村では、枝の聖別をするさいに、あわせてハシバミの枝も聖別してもらっていた。そして、そのうちの3本を家畜小屋に入れておくと家畜を守ってくれると信じられていた。「3」という数字は三位一体を表す聖なる数字であり、ハシバミの枝は、魔女を撃退するための最高の武器だと考えられていたからである。
今日では、信者たちは教会に枝を持ち寄り、そこで枝を聖別してもらっているが、昔は村外れに集まり、そこで枝を聖別してもらったり、枝を持って教会まで行列を作って歩いていく、ということが行なわれていた。この行列は、聖書にある「イエスのエルサレム入場」を再現するためのもので、とても芝居がかったものであった。このような芝居がかった儀式を行なうのは、カトリック教会の特徴と言えるものである。行列の形態にはいくつかあったのだが、ここでは主なものを2つ挙げておくことにする。
もう1つは「ロバに乗ったイエスの像を教会まで引いていく」というものである。ロバの上で祝福しているイエスの像はパルムエゼル(Palmesel)と呼ばれていて、それが台車の上に載せられており、台車の四隅に取り付けられている棒を信者たちが押しながらこの像を教会まで運んでいくのである。これもまたロバに乗ってエルサレムの町に入るイエスの様子を再現してみせたものである。今日、パルムエゼルを見ようとするなら、博物館などに行かなければならない。というのも、この慣習が廃れてしまったからだし、パルムエゼルじたいが、他の古い彫刻などと同様に貴重な歴史遺産となってしまったからである。けれども、アルザスで唯一この慣習を守り続けている町がある。それがアメルシュヴィル(Ammerschwhir)で、この町の聖マルタン教会には今でも16世紀に作られたパルムエゼルが保存されており、教会が開いているときにはいつでも誰でも見ることが出来るし、実際に枝の主日の日にはこの像が使われているのである。
1つ目は、司祭を初めミサに参加する全ての人が教会の前までやってくる。そして、司祭とミサの手伝いをする子供たちが、教会の入口のところへ行く。教会に入る扉は閉ざされたままである。そこで司祭が、十字架の柄のところで扉をこつこつと叩き、「扉を開けてください、王子たちよ。栄光の王が入りたがっています!」と言う。すると中から「入りたがっているという栄光の王とは誰のことか?」という声が聞こえてくる。そこで司祭は答える。「主です、栄光の王とは、戦いにおいて強く力のある主のことです」こうした問答が3度続き、3度目に司祭が「キリストこそ栄光の王です」と答える。すると教会の扉が開き、信者全員がその後に続いて中に入り、ミサが挙行されることになるのである。これは、イエスがエルサレムの町に入る門をくぐるときの様子を再現してみせたものである。
大きな枝の束を持った子供
枝の主日の行列(左)とパルムエゼル(アメルシュヴィル、Ammerschwihr)
ガラガラ (Ratsch, crecelle)の慣習
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聖木曜日の夜のミサの時にグローリアの鐘が鳴ると、イエスの死を悼んで、イエスの復活する日曜まで教会の鐘は鳴らなくなる(その間、鐘はローマに聖別されに行ったことになっている)。けれども、鐘が鳴らなくなると時間を告げる手段がなくなってしまうため、聖金曜日と聖土曜日には、代わりに村の子供たちがガラガラ(Ratcsh, crecelle)を鳴らしながら村中をまわり、朝、昼、晩のお祈りの時間を告げていた。それが終わると子供たちは、村中の家を回り寄付を募って歩いていた。
今日でもアルザスのいくつかの村ではこの慣習が守られている。たとえばキーンツハイム(Kientzheim)では、子供たちがおそろいのガラガラを持ち、決まったリズムを奏でながら、聖金曜日と聖土曜日の朝6時、昼12時、夕方6時の三回、村の中を一回りする。そして、リーダーの合図にあわせ時折「今○○時を打ったよ」と全員がアルザス語で歌う。土曜日には、イエスの復活が近いことから、さらに「ハレルヤ」を3回つけたして歌う。キーンツハイムでは、これに参加できるのは6歳から14歳までの男子だけと決まっている。これは、もともとこの役を務めていたのが教会のミサの手伝いをする子供たち(この年齢の男子に限られていた)であったからだろうと考えられる。また、彼らの持つガラガラは父から子へと代々受け継がれているものがほとんどである。
キーンツハイム型のガラガラ
数年前までこの慣習が行われていたアッヘンナイム(Achenheim)では、ミサの手伝いをする子供(男女問わず)全員が家にあるガラガラを持ってきてこれを行っていた。キーンツハイムでは行われていないが、彼らはこの仕事を終えた後で、寄付を募って歩いていた。もらえるものは、昔は卵だけだったが、今日ではチョコレート、お菓子、ジュース、お金などである。
ガラガラを持って歩く少年たち(キーンツハイム、Kientzheim)
ガラガラを持って歩くミサの手伝いをする子供たちとその後の寄付集め(アッヘンナイム、Achenheim)
聖土曜日の朝の焚き火 (le feu pascal du samedi saint)
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ところで、キーンツハイムの少年たちは奇妙な慣習を守り続けている。それは、聖土曜日の朝6時から村をまわる前に、早朝の3時からブドウ畑のある一隅に集まり、焚き火をして過ごすのである。そのときに燃やされるものは、壊れたテーブルやイスなどの不用品、それにクリスマスのときに飾ったツリーの木などである。彼らにその起源を聞いても誰も答えることは出来ない。しかし、村のある古老に聞いた話では、それは、ユダヤ人の火あぶり(d'r Judverbrennen)という名前のついた慣習であった。
かつてカトリックの村では、聖土曜日の日に、冬の間に出て来た不用品をまとめて燃やす習慣があった。もともとこの焚き火には、「ユダを燃やす」という名前があった。というのも、イエスを裏切ったユダは、「イエスが死んでから復活するまでの間にこの世に一時的にもたらされた混乱状態の責任者」であると考えられたことから、冬の間に出て来た不用品と同格扱いされからである。この火は悪いものを浄化すると考えられたのである。実は、クレッセルにも同様の意味があった。教会の鐘は、お祈りの時間や結婚、葬儀などの時を知らせる役目だけでなく、悪い霊を村に近づけさせない役割があると考えられていたが、聖金曜日と聖土曜日の2日間は鳴らなくなってしまう。イエスが死に復活するまでの最も不安定な時を、教会の鐘の音なしで過ごすことはとうてい考えられないことである。そこで、時を告げるだけでなく、悪い霊を追い払うために教会の鐘の代わりをしたのが、ガラガラなのである。ガラガラの機関銃のような激しい騒音が悪い霊を追い払ってくれると考えられたのである。話を戻すと、「ユダを燃やす」という名前は、ユダヤ人に対する偏見から時が経つにつれ「ユダヤ人を燃やす」に変化して言った。しかし、キーンツハイムでは、第二次大戦後にこの名前は好ましくないと考えられるようになり、名前なしで慣習だけが残ったということらしい。ある村の古老の話では、この人が子供の頃は、藁やぼろ布でかかしのような人形を作り、焚火の上にのせて焼いていたそうである。これが「ユダ」なわけだが、それはまた、カーニヴァルのときに燃やされる「冬の象徴」の人形に他ならない。このように復活祭とは、キリスト教が広まる以前の冬の死と春の蘇りを祝う異教的な祭がキリスト今日のそれと混ざって出来たものなのである。
聖土曜日の早朝3時からキーンツハイム村のブドウ畑の一隅で行われる焚き火。キーンツハイムでは、クリスマスツリーに使ったモミの木や、冬の間に出て来た不要な可燃物を、焚き火が行われる場所まで捨てに来る。そのようにして出来上がった薪の山は、3mを越すこともある。少年たちは焚き火を行う傍ら、脇で小さな焚き火もし、そこでソーセージなどを焼いて食べ、朝の出発前の腹ごしらえをする。
復活祭の日曜日 (Oschtersonntag, le dimanche de Paques)
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復活祭の日曜日(Oschtersonntag, le dimanche de Paques)は、イエスの復活を祝う喜びにあふれた日であり、この日の朝のぼる太陽は、あまりのうれしさに地平線の上で三度跳ね上がるといわれ、その様子を見ようと朝から早起きして野原に出掛けるという習慣さえあった。
この日に食べられるお菓子に、小羊の形をしたビスケット生地のケーキがあるが、それというのも小羊は、人々を救うために血を流したイエスの象徴となっているからである。中世の時代には、復活祭のミサの時に教会で、実際に生きた羊を犠牲に捧げていたことがあり、また十六世紀には、男性が婚約者に羊を贈るという習慣があった。そこから、ビスケット生地の小羊型ケーキを作る習慣が生まれたのではないかと考えられている。
しかしながら、何と言っても復活祭と強く結びついた動物といえば、「うさぎ」だろう。復活祭が近くなると、子供たちは一生懸命に巣を作る。その中に、復活祭のうさぎ(Oschterhas, lievre de Paques)に色のついた卵を産んでもらうためである。復活祭のうさぎは、庭に植えておいた聖別された枝の束の下や、庭の潅木の下などにも卵を産むとされている。そして、日曜日になると子供たちは、うさぎが産んだ卵を探して、庭や家の周りや家の中をあちこち駆け回ることになるのである。ただし今日では、こうしたうさぎの卵はチョコレートであることが多い。
なぜ、うさぎが色のついた卵を産むのだろうか。これをキリスト教的に解釈すると、卵の殻は復活したイエスの体を、白身は魂を、黄身は神性を表すという。また、色については赤は最も古くから知られている色で流されたイエスの血を、緑は緑の庭で復活したイエスを、黄色は朝の光の中で復活したイエスを象徴しているのだという。ちなみに卵の色は、復活祭のうさぎが食べた植物や花によって決まると言われていた。次にうさぎはどうかというと、イエスは、うさぎによって象徴されることがあった。というのも「長い耳を大きく開けて」神の言葉を聞いているからである。
これに対し、同じことをキリスト教が入る以前の人たちの考え方から解釈すると、全く違った見方が出来る。キリスト教が入る前、ケルト人たちは春になるとオスタラ(Ostara)という春(あるいは大地)の女神に捧げ物をしていた。その捧げ物とは、枝、卵、うさぎであった。すでに見たようにこれらは復活祭の週と密接に関係あるものばかりである。枝の主日に聖別される枝はどれも常緑樹であり、冬の間も枯れないことから、常緑樹には不思議な力が宿っていると考えられていた。そして、聖別された後で庭に植えられていたそれらの枝には活力があり、まもなく植物が地中から生えてくるのを手助けすると考えられていた。すでに見たように「卵」は、その中にあらゆる可能性を秘めた誕生の象徴である。そしてうさぎは、春先が恋の季節で、多産で繁殖力が強いことから春の女神のお気にいりの動物と考えられるようになった。このような捧げ物を春の女神にすることによって、キリスト教が入る以前から人々は、「春」の「復活」を祝っていたのである。
このように見たとき、復活祭とは、イエスの復活を祝うキリスト教的要素と春の復活を祝う異教的要素が一つとなった祭であることが分かる。このことを最もはっきりとした形で見せてくれているものが、厚手で色彩豊かな焼物の生産地で有名なスフレンハイム (Soufflenheim)を中心に今でも作られているうさぎの絵皿である。それは、丸いお皿の中で3匹のうさぎが追い駆けっこをしている絵柄で、大きな耳がお皿の中心に集まり、それぞれの片耳が別の一匹の片耳と重なるようになっていることから6つあるはずの耳が3つしか描かれておらず、その3つの耳が三角形を形作っていて「私たちには3つしか耳がないが、ちゃんと自分の耳はあるんだよ」といった言葉がよく書き添えられているものである。イエスの象徴であるうさぎが3匹いて、それらの耳が三角形を形作っていることから、これが「三位一体」を表していることは明白である。と同時に、「繁殖」の象徴であるうさぎが丸いお皿の中で追い駆けっこをしているということは、豊かさが永遠に続くようにという願いがそこに込められていることを表しているのである。
羊型のビスケット生地のケーキ
追いかけっこをするうさぎの絵柄の皿と卵(どちらもスフレンハイムの焼物)