ブドウとワイン (raisins et vin )

 

 

 

 

 

 

 アルザスの特産品であるワイン作りに欠かすことの出来ないブドウは、アルザスを南北に走るヴォージュ山脈に沿った丘陵地の斜面で盛んに栽培されていて、とくに北はストラスブールの西に位置するマルレンハイムから南はミュールーズの西に位置するタンまでのおよそ170キロ区間の国道や県道は、ワイン街道(la route des vins)と呼ばれている。アルザスで栽培されているブドウには7種類ある。ゲヴュルツトラミネル(gewurztraminer)、リースリング(riesling)、シルヴァネル(sylvaner)、トケ(tokay)、ミュスカ(muscat)、ピノ・ブラン(pinot blanc)、ピノ・ノワール(pinot noir)である。このうち、ピノ・ノワールだけがロゼワインとなり、あとは全て白ワインとなる。他にもクレマン・ダルザス(clement dAlsace)という発泡酒が造られたり、いくつかの種類を混ぜ合わせたエデルツヴィッケール(edelzwicker)というテーブルワインも造られている。

 

 

 

 

 

 

 

ブドウ栽培農家の仕事と大切な聖人の日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ワイン醸造を行なっているブドウ栽培農家の人たちには、5月25日の聖ウルバヌスの日以外にも、大切な聖人の日や重要な日がいくつかあった。それらについて、ブドウ栽培者たちの仕事をざっと見ながら紹介していくことにしたい。

 まず2月2日のロウソクの清めの日だが、「(この日に)小なた鎌は糸車に取って代わる」という言葉が残されている。この日を境に家の中の仕事をやめ、ブドウ畑の仕事を始めようというわけである。この言葉通り、ロウソクの清めの日からブドウ栽培者たちは、余分な枝を切る剪定作業を始めていた。切った枝は集めて薪の束にし、切らなかった枝は張り渡してある鉄線に結び付けて、十分に太陽の光を浴びるようにするのである。この後さらに、耕作、雑草取り、実を付けなくなった枝の伐採などを行なう。これら全ては、4月23日の聖ゲオルグの日までに終わらせなければならなかった。というのもこの日以降は、ブドウの木の幹の下の方に出てくる不必要な若芽の摘み取り作業が待っているからである。その2日後の25日は聖マルコの日で、聖マルコは、5月の『氷の聖人たち』のように、ブドウを春先の霜から守ってくれると考えられていた。実際、この日にアメルシュヴィルやカッツェンタ−ルなどでは、村人たちが司祭とともに行列を作ってブドウ畑へ行き、畑の四隅の十字架像か礼拝堂のある場所で、司祭が福音書の一節を読んでいた。それによってブドウ畑全体が聖別され、春先の霜の害からブドウ畑を守ってもらえる、と信じられていたからである。

 

 

 

 6月になると、防虫剤の散布が行なわれる。そして24日の聖ヨハネの日には、「女性が二度目にブドウ畑に入る」と言われていた。というのもブドウの栽培は基本的に男の仕事で、ふだん女性は家畜の世話や庭の手入れといった家での仕事に従事しており、ブドウ畑に入って行なう仕事は限られていたからである。女性が最初にブドウ畑に入ってしていた仕事は、剪定後に枝を結びつけることである。2回目がこの聖ヨハネの日で、やはり枝を結ぶのを手伝うためである。伸びた枝が十分に太陽の光を浴び、重さによってたわむことがないようにしっかり結ぶのである。3回目は収穫のときになるが、収穫のとき以外は女性が道具を使ってブドウ畑の中で働くということはなかった。また、アルザスではこの日に「ブドウの木に花が咲く」と言われている。花が咲くと、今度はすぐにブドウの萌芽が現われることになるため、この時期に花が咲くかどうかは、ブドウが順調に育っているかどうかを知る上で大切な出来事である。そのため、ブルンシュタットでは、この日に花が咲くと皆でダンスなどの娯楽に興じ、咲かないと愕然としていたという。また、エッテンドルフでは、ブドウが開花すると「チャリンチャリン」という鐘の音が聞こえてくるそうで、これは小人たちがブドウ畑の中を歩き周りながら、良いワインが出来ることを告げている合図であるという。別の場所では、その役割を担っていたのは白い服を着た女性(の幽霊)であった。小人や白い服の女性は作物の成長の秘密を握る超自然的な存在であり、鐘の音には悪い霊を追い払う力があると考えられていたことから、このような伝説が生まれたのかも知れない。ところが7月になっていつまでも花が咲き続けるような場合は、逆に悪い兆候であると考えられていた。それは夏の暑さが十分でないことを意味し、萌芽が出来ない可能性があるからである。萌芽が出来なければ、その時点でブドウの栽培は中断してしまう。女性がこの日からブドウ畑に入り、伸びた枝を結ぶ手伝いをするということには、現実的な面だけでなく象徴的な面においても、ブドウの受粉を促進する役割が女性たちに期待されていた、ということなのかも知れない。「聖ヨハネの日にはワイン蔵に行くのを控えねばならない」という俚諺もある。さもなければ、ワインが変質してしまうというのである。これは、聖ヨハネが火だけでなく、水と結びついた聖人であることと関係している。水とワインは相性が悪く、水はワインの質を変えてしまうと考えられたのである。

                               

                

               

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブドウの収穫とワイン作り

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブドウの収穫(d'r Herbscht, la vendange)は、ブドウ栽培者の間では、ブドウの花が開くという6月24日の聖ヨハネの日から数えて100日後の10月2日に行われると言われている(もちろん実際にはブドウの出来具合によって収穫の日が決まる)。また、収穫の40日前、すなわち8月の後半からブドウの実は色を変え、熟し始めるという。こうして収穫の始まる数週間前から、収穫および収穫と同時に行うワイン作りのために必要な道具の準備を行うことになる。

 

 ブドウの収穫方法は、基本的に昔からずっと変わっていない。ただ、昔はブドウを摘み取るのにセルペット(serpette)という小なた鎌が使われていたが、1930年頃からはセカトゥール(secateur)という剪定バサミが使われるようになった。ブドウの収穫は今も昔も手作業であるため、多くの人手を必要とする。そのため老若男女を問わず収穫に参加し、季節労働者が雇い入れられている。昔は、季節労働者の多くは、収穫を終えたアルザス平野部の農民たちだった。今日、季節労働者の多くは学生や定年退職者らになっている。また、親類縁者や知り合いの人たちも手伝いに来ていて、昔はそれがお互いの近況を知るためのよい機会にもなっていた。

serpette servant a couper des raisins

 

セルペット

  ブドウの収穫者たちは、早朝からブドウ畑へと向かい、現地で道具の確認をすると、各人が剪定バサミとプラスチックのバケツを持ち、収穫現場の責任者(Huttemann, chef des vendangeurs)の指示に従って、一列になったブドウの木の両側に向かい合うようにして立つ。こうして列に沿ってブドウの摘み取り作業が始まるが、昔は、もし収穫者の中に初めて収穫に来た女の子がいる場合は、洗礼のような儀式が行われていた。それが、ブドウの収穫の顔塗り(Herbschtschintriwe, barbouillage des vendanges)で、煤を混ぜたブドウの汁を女の子たちの顔になすりつけ、大笑いしていたのである。昔はほぼ全てのブドウ畑に、この慣習のために少なくとも1本は植えられた「染物師」という意味のファルヴェール(Farwer)と呼ばれる赤ブドウの木があったという。もともとこの慣習は、割り当てられた列のブドウを摘み忘れるような、きちんと仕事の出来ない不器用で投げやりな女性たちに対する罰だったそうである。

 

 

 

 

午前中に最初の休憩が訪れ、ハム、ソーセージ、チーズ、コーヒー、そしてシュナップス(蒸留酒)などの軽食を取る。次の休憩は昼過ぎで、ブドウ栽培農家の女主人が弁当を持ってきていたのだが、そのようにブドウ畑に弁当を運ぶ、あるいは朝夕の食事の準備をするのは一家の女主人の役目であった。一般にブドウ栽培農家の主婦は収穫には行かず、全員の食事の用意をするために一日中、台所仕事をしていた。また、季節労働者を探し、それらの人の名前と必要経費を毎年書きつけた手帳を持っていることもしばしばで、そのようにブドウ栽培農家の主婦は、収穫に関する裏方の仕事を一手に引き受けていた。

 

 

 

作業中にのどが渇いたときには、今日ではペット・ボトルの水が飲まれているが、昔は家庭消費用のワインが飲まれていた。このワインは、ブドウを搾った後に残る搾りかすに水と砂糖を入れ、4〜5日かけて発酵させてから再び圧搾して作ったもので、場合によっては3〜4回、同じ工程を繰り返して作られることもあった。この家庭用ワインを畑に持って行くときには、小さな樽型をした水筒(Loyala, tonnelet)が使われていた。昔は、それが経済的であっただけでなく、畑仕事中にワイン以外のものを飲むことは考えられなかった。そのため、大人も子供ものどが渇くとこの家庭用ワインを飲んでいたそうで、一人最低でも2リットルは持って行ったという。この水筒はまた、ブドウ栽培農家に限らず、一般に農作業を行うときにも用いられていた。

Loyala, tonnelet date de 1848 avec un prenom et une serpette graves

 

 

 

 

長い1日が終わると、ブドウの詰まった桶を車に満載して家へと運んで行く。到着してから桶を下ろし、醸造をする場所まで運んでいくのは男たちの仕事である。家では夕食が用意されていて、夕食後は、昔は泊り込みでブドウの収穫に来ていたので、女の人たちは疲れてなければダンスをするなどして過ごし、男たちはワインの醸造に取り掛かっていた。

樽型をした水筒、1842年、持ち主の名前とセルペットが彫刻されている

 

 

 

醸造は、収穫されたばかりのブドウを潰すところから始まる。これを破砕(le foulage)と言い、今では電動の機械で行っているが、昔は素足で踏んでブドウを潰していた。19世紀になると、素足で踏むかわりに、太いすりこ木を用いてブドウを潰すようになる。このすりこ木(Triwelsteessel)は、長さ1.5メートル、太さ10センチほどのモミの木で出来た柄で、柄の先端には百ほど穴のあいた大きな球がついており、その穴には木製のトゲトゲが差し込んであった。使用する際は、2本のすりこ木で桶の底をたたき、ブドウを潰すのである。けれどもこのすりこ木も、手動式の破砕機の出現とともに消えることになる。新たに現われた破砕機は、鉄製の桶の中に溝のついた鉄製の円筒が二つ横に並べて取り付けられたもので、桶の外側についている車輪を回すことによって中の円筒が回転し、ブドウを潰す仕組みになっていた。手動式の破砕機は、昔はブドウ畑に運び込まれ、その場で収穫したばかりのブドウを破砕していたそうである。

vigne d'Alsace

Vendange en Alsace (photo de CIVA)

 

 

 

 

収穫を迎えた秋のブドウ畑

ブドウの収穫風景(CIVAアーカイヴ)

Hotte de vendangeurs (musee du vin d'Ingersheim)

machine de foulage ambulante (musee du vin d'Ingersheim)

 

 

 

 

 

ブドウの収穫に使用される背負い籠(左)と移動式の破砕器(いずれもインゲルスハイムのワイン博物館蔵)

破砕が終わると次は圧搾になる。今日では電気の機械が用いられているが、もちろん昔は木製の圧搾機(Trott, pressoir)でブドウを搾っていた。木製の圧搾機は、全体の骨組みはナラの木、回転させる木の棒はサクランボなどの果樹、ブドウを入れる桶の部分にはモミの木が使われていた。というのも、モミ以外の木を使うと、タンニンが残る恐れがあったからだそうである。破砕後のブドウは、太い管を通して、まるごとこの圧搾機の中に流し込まれる。そこで圧搾されると、圧搾機の下に置かれた桶の中にブドウの搾り汁が出てくる。桶には、篩がついていて、汁と一緒に出て来た搾りかすが取り除かれる。こうして出来たブドウの搾り汁はまだ濁ったままだが、ワイン樽に移し丸一日がたつと、澱ものが樽の底に沈殿し、澄み始める。一方、圧搾機の中に残ったブドウの搾りかすは、すでに見たように家庭用のワイン造りに用いられたり、型のようなものに詰めて乾燥させ、冬場の燃料に用いられたりしていた。また、ゲビュルツトラミネル種の搾りかすだけは、シュナップス(蒸留酒)造りに用いられる。こうして出来るのが、マール・ドゥ・ゲビュルツトラミネル(marc de Gewurztraminer)という名称の蒸留酒である(マールとは『搾りかす』の意味)。

 

 

 

 

 

 

Trott, presoir (musee du vin de Kientzheim)

Tonneaux (musee du vin de Kientzheim)

 

 

 

 

 

圧搾機(左)とワイン樽(いずれもキーンツハイムのワイン博物館蔵)

verrou de fut

verrou de fut en forme de poissons

 

 

 

ワイン樽に取り付ける差し金

 

 ところで、ブドウの圧搾を始めるにあたり、「どのブドウ栽培農家にも置いていないのに必要な道具」があった。それが、圧搾用の金バサミ(Trottschar, les cisailles a pressurer)と呼ばれるもので、普通はブドウ栽培農家の主人が、圧搾を始める前に「だめだ、仕事にならない。圧搾用の金バサミを忘れた」といったようなことを言って、新米に、隣の家まで行って借りてくるようにと言いつけるのである。言われた方は隣家へ行き、事情を話すと、隣家の主人は心得たとばかりに何やら重たい袋を持ち出してくる。新米は袋を受け取ると、やっとの思いで持ち帰り、みんなの前で中を開けてみる。すると中には石や重たい品が入っているだけである。新米は呆気に取られてしまう。次の瞬間、その場に居合わせた人たちは大笑いし、ようやく新米はだまされていたことに気付くというわけである。実際には、圧搾用の金バサミというものは存在せず、新米をからかうために作り出された架空の道具にすぎない。この新米をからかう慣習は、新米を仲間として迎え入れる際の儀式のようなもので、アルザスの各地で行われていた。

 

 

 

 

 こうしたブドウの収穫とその後に続く破砕、圧搾、樽への仕込みは、10月2日に始まり、11月2日の死者たちの日には終わると言われていた。

 

 

 

収穫の荷車(le Herbschtwaje)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 収穫の最終日はブドウ栽培者たちにとっても特別な日で、農民たちが収穫時に行っていたのと同じような慣習があった。その一つが、収穫の荷車(Herbschtwajeとか最後の荷車(la derniere voitureと呼ばれるもので、文字通り最後に収穫したブドウを載せた荷車を様々に飾り立てることによって、収穫が終わったことを知らせていたのである。それにはふつう、リボンのついた木の棒(マイヤ)が立てられていた。ベルグハイムでは、ブドウの木の足に似せて、収穫したブドウの入っている桶の中にブドウの枝を弓形に曲げて差し込み、村への帰り道沿いにある全ての花を摘んで荷車を飾り立て、皆で歌を歌いながら村を通って戻っていた。また、セレスタ市の周辺では、天辺に鷲を乗せ、ブレッツェルやその他もろもろの食料をつけたモミの木に、1本のワインのビンが飾り付けてあったという。モミの木に飾りがついていない場合には、その横に収穫のスス顔男(Herbschtschmuerel/Herbschtmannele, le barbouille des vendanges)がいた。この人物は、バッコス(酒の神)とも呼ばれていて、顔にススやブドウの搾りかすを塗って黒くしていた。また、ブドウとブドウの葉で出来た冠をかぶっていたり、ブドウ樽の上にまたがっていたりすることもあった。ベルナールヴィレールでは、1900年まで、村で一番太っていた人が額にブドウの葉の冠をつけてワイン樽にまたがり、やはり顔を黒くした若者たちが荷車のあとを付き従っていたそうである。この人物は、友人シュナップス(Schnapsfritz, l’ami  schnaps)と呼ばれ、道行く人たちを嘲笑し、ワインを称える歌を歌っていたという。これに対しミュールーズでは、最後の荷車に乗っていたのは、女装した男性と男装した女性のカップルで、二人は背中合わせに座っていた。そして、「女」の方は華やかに着飾り、「男」の方はブドウの房で飾りつけた木の棒(マイヤ)を持って、好き勝手な振る舞いをしていたそうである。今日でも、昔ほどではないが、最後の荷車を簡単に飾りたてたり、収穫者たちがブドウの葉で作った冠をかぶってブドウ畑から戻るようなことが、一部のブドウ栽培者の間で続けられている。

 

 

 

 

 

 

 

Retour des vendanges, peinture de Lix

La marche triomphale du Herbschtmannele, dessin de P.Kauffmann

 

 

 

 

『収穫からの帰還』(Lix画)

『収穫のスス顔男の勝ち誇った行進』(P.Kauffmann 画)

 

 

 

 

 la derniere voiture a Eguisheim (photo de la maison C.Beyer)

L'equipe de vendangeurs a Eguisheim (photo de la maison C.Beyer)

Vendangeurs a Eguisheim (photo de la maison C.Beyer)

 

 

 

 

『最後の荷車』(左)とブドウの葉をかぶった収穫者たち(いずれもエギスハイムのワイン業者・ベイエール家の収穫時の風景)

 

 

 最後の収穫が終わるとブドウ栽培者たちは、やはり農民たちと同じように収穫後の日曜日の昼に、ブドウの収穫を手伝ってくれた人たちのために食事(Herbschtbrote, le repas de cloture)を振舞ってた。収穫が終わると同時に三々五々立ち去ってしまうのではなく、最後にみんなで集まって食事を取ることが慣習になっていたのである。この食事にはまた、一緒に働いた者どうしが最後に団結を確かめあうことによって、翌年もまた同じメンバーで収穫にあたれるようにというブドウ栽培者からの期待も込められていた。この食事会は、今日でも一部のブドウ栽培者の間で続けられているが、以前のように一家の女主人が用意するのではなく、出来合いの料理を買ってくることが多いそうである。

 

 

 

 

 

日常生活 (La vie quotidienne)